2年前、丁度梅雨に差し掛かる前、「不純喫茶アネモネに入らない?」とオーナーから誘ってもらった。
今まで毎日泥酔してキラキラコンカフェ嬢からは遠くかけ離れたベロベロコンカフェ嬢をしてた私は「この店に入ったらキラキラコンカフェ嬢になれるかも!」って単純な気持ちで入店を決めた。そして浮かれた気持ちのまま長く勤めた店をやめた。
辞めたもののアネモネの箱が中々決まらず夏の間は日本橋のコンカフェで内勤をしたり三ッ寺会館のbarで働いたり浮ついた日々を過ごしていたな。
そして箱も無事に決まってメンバーもどんどん決まっていった。インフルエンサーや元店長ばっかりだった。段々自分の中に闘争心が燃え上がるのが分かった。今考えたらものすごくくだらないし厨二病すぎる。でもまだ幼かったし、本気だった
私は属するコミュニティの中の長に気に入られたり、認められたりしたいという欲求が人一倍強いんだ、これはどうしてなのか今でもあんまりわかんない、お父さんに褒められたいみたいな感情に近いのかな
このときアネモネが大大大炎上して、なんか凄いことになってたけど、そんなことで来なくなるやつは死ね!って思ってました。
そしてオープン日になった。コンカフェ始めたときの1番最初の同僚なんかにお花出してもらっちゃったりして、成長した気分でものすごく嬉しかったのを今でも覚えてる。
最初から誰と仲良くなる気も無かった。馴れ合いなんてしょうもない。店で出会った人間は友達じゃない。絶対に孤高を貫くぞと決めた。
営業が始まると、全く全く全く今までしてきた接客と違って本当に困惑した。「ちゃんとしたコンカフェってこんななの、、、?やばいかも」って
思った。みんな当たり前のようにチェキとかが1日何枚も出るのなんの…
自分の卓にあるのはお酒とカラオケ、こんなのコンカフェ嬢じゃない!って悔しかった。
見た目も推されて飲めて面白い人にならないとここで上にのしあがることは出来ないなって思ったのね。
そこでSNSの使い方や自撮りの仕方を周りに教えてもらってガラッと変えた。メイクも髪型も。
サブカル芋女脱却!というスローガンを密かに掲げていた。
そしたら見事にフォロワーやいいねが伸びて、顔が好きで来てくれる「オタク」が段々増えていった。超絶超絶嬉しかった。今まで「お客さん」は居ても「オタク」はインドネシア人1人しか居なかったから。笑
なんやかんやで自分の魅せ方をわかってきたところで、大大大大大粗相をしてしまった。今でも思い出すと気が狂いそうになる。
ゲストさんが来られている日に泥酔して卓ゲロしてしまったんです…
かなり怒られて白い目で見られた。前の店では泥酔しても怒られたことなんて無くて、寧ろ潰れて面白いだとかよく頑張ったとかそんな感じだったので何で頑張ってお酒飲んで怒られるのかさっぱり分からなかった。
この店でやっていけんのか超心配になった。
でも反省して気づいた。周りのことも考えないとダメなんだなと。出されたものを胃に入れるだけが仕事じゃない、もっと業務的な部分を率先して頑張らないと自分の目指すところには行けないとさらに気付いた。
でもその頃はまだクソみたいに尖った性格をしてたのでそんなん全部1人でやったるわと思ってた。
そして丁度その頃に幹部が出来た、合計4人。
そこに私の名前はあった。
とりあえず他のキャストより上に行けたので悦に浸っていた。
そこから仕事への熱量が異常に上がってあれもこれも全部全部やるといった感じでこなしていた。
誰もやらないから自分がやる、そんなことばっかしてた。やりすぎだ。
そして独りを貫いた結果、ずっと心が孤独だった。
この頃きっと精神がどうかしてたと思います。
何に対してか覚えてないけど毎日異常なほどの憎悪を抱えて生きてた。
今考えると自分で自分の首絞めて、バカみたいだな
この頃に悪い態度を取ってしまったみんな、ごめんね
地下での記憶は曖昧で、覚えてないことが多々あるのでちょっと省略しようかなと思います。
でも、真宵とオーナーと初詣に行ったこととか、みるぽんと自転車2人乗りして道具屋筋に買い出しいったこととか、クリスマスイベントとか、夜通しお店でスプラトゥーンしたこととか、何でか忘れたけど弔とお店に残ってお話したことはよく覚えてる。楽しかったなあ。
みんなが知ってる今の箱に移転が決まったとき、正直マジで嫌だった。大反対だった。
でも今考えたら移転して大正解だなあとおもった。
手作業で前店舗から引越しして、なんか壊れた冷蔵庫から漏れ出してフロア満タンに溜まった水をほうきで外にだして、ピカピカにお掃除した店をみたとき、「これからここが私の城だ!広い!ここなら泥酔して死ねるし!」っておもった。
でもなんとなくずっと鬱鬱とした気持ちのまま働いていた、これはあるあるだけど、役職内で仕事量の分担が偏ったりしてしまってた。
(みんなを責めている訳じゃあございませんよ、ただの思い出書きなので悪しからず)
自分が行き過ぎた率先をしてたというのは勿論なんだけど、夜な夜なスプレッドシートを打ち込み、あるときには会社のお花見の前日、朝5時の仕事終わりに1人で泣きながら次の日のフードの仕込みをして、アネモネのシンクで顔洗って集合時間まで寝たこともあった。
正直「こいつら仕事する気ある?マジで殺してやろうかな、それか自分が死んでやる」そう何回もおもった。限界だった。自分のことしか考えられなかった、きっとみんなも精一杯頑張ってくれてたのに。
自分はドス黒い雰囲気を撒き散らして、情けない、最悪だってずっと思ってた。
そのとき、そんな様子を見かねた弔がよく声をかけてくれるようになった。
本当に嬉しかったけど、疑心暗鬼に陥ってた私は「こいつ、良い人のフリすんなよ、どうせ上辺だけのくせに」とか思ってた。最低!
そして私が醸し出す悪い雰囲気は伝染していって、気付いたオーナーがミーティングを開いて仕事量の調節をしてくれて、今までとは打って変わって気が楽になった。
そこから人は入れ替わり立ち替わり、色んなトラブル揉め事が起こった。オーナーとは特に衝突して、その度にいつも弔が仲裁に入ってくれて、相談を聞いてくれて、と気がついたら完全にお世話を焼かれる立場になってた。
色んな場面を乗り越えてきてる中でまた仕事に対する熱量は上がっていった。
月の初めは役職のグループでイベント案を考えて、時には関係ない話で盛り上がって、キャスト間でのトラブルも間に入って、ミーティングもいっぱいして、みんなの生誕の準備も手伝って、すごく充実した毎日を過ごした。
(みんなの生誕の日、いつも感動で泣きそうになってた)
通常営業も大盛り上がりしてる日ばかりで、超絶充実の毎日だった。
そして移転から半年、ついに自分が生誕をする順番が回ってきた。自分の前に生誕した子達はみんな高額シャンパン、タワーは絶対にあったからプレッシャーが凄かった。
なぜなら今までそんなイベントはしたことないし、カスのイベント(〜何杯飲み切るまで帰れま10 昇格祭)(懐かしい)(過去一面白かった)
しかしたことなかったし、自分にそんな「キラキラコンカフェ嬢」が出来るのか…?と不安に思ってた。
生誕のイメージを考えて、バッチリな衣裳も買ってもらって、宣材の撮影をしてもらって、あとは高額の予定を決めるだけ…
今まで高額のおねだりもしたことない私はどうしようどうしようって悩んでた。
そのとき東京事変ファンという共通点があって、オタクになってくれた神様が「生誕、なんかしたいです」と言ってくれた。そこですかさず「じゃあエンジェルは!?」と言うと即答でOKしてくれた。本当に本当に飛び上がるぐらい嬉しかった。舞い上がりすぎてみんなに自慢した。
そこからタワーを…(これは紆余曲折ありました。お店に来てた人は知ってるので省略!笑)
となった…が、ガチで詰み状態だった私に手を差し伸べてくれた女神がいた。
可愛くて、人気で、大好きなおんなのこ。
普段は無口なのに、酔っ払ったときはプライベートの愚痴とか最近あったことを沢山話してくれる可愛い可愛い子。
もう死んでもいいやと本気で思った。
2人は秒速で前入金も済ましてくれて、格好よすぎたよ。あんたたち。ここから安堵で気が緩みそうになったけど、そんなことしてる暇もなく次は来店予定を組みまくるターンになった。
準備は着々と進み、当日。
オープン凸してくれたのは前店の後輩、ことるん先生だった!流石すぎる。
そこからKYKのトンカツ弁当を完食して、生誕祭に挑んだ。
想像の10倍の人が来てくれて、実はアドレナリン出過ぎてほぼ記憶ないんです。
シャンパンありえんぐらい開栓して、ちょこまかと動き回ってたと思う…
エンジェル開栓、タワーにシャンパンを流す作業、全部が初めてで、死にそうだった。
どう振る舞えばいいのか全く分からなかった…
当日の売上は想像の倍で、何が何だか分からなかった。
オリシャン飛んだ人は足ぐねれ。
生誕に足を運んでくれた方達本当にありがとう、一生の思い出だよ、今後の人生で生誕の日より生産性のある日は無いと思います!
そして次はアネモネの1周年イベント、髪を真っ赤に染めた。勝負の赤。情熱の赤だ。いつも大事なときは赤に染めてる気がする。
店内に入ると内装がキラキラしてて、ドデカいタワーが立ってて、やっぱオーナーすげえとなった。
やっとここまで来たかっておもった、正直1年も持つと思ってなかった。
その後打ち上げでみんなでバーベキュー行った。
みんな普段ジャージなのにめかしこんできててかなりキュンとした…
そして…次が弔の生誕、この頃には距離がかなり縮まってた。「あーし、生誕したことなくて何からしたらいいかわからんわなつみさん」って言ってたなあ
当日の少し前に過去一の特大トラブルが起こった。
深夜のミナミからタクシーに飛び乗って弔の家に向かった、絶体絶命のピンチなのに何故かハイになってお互いの身の上話を夜通し語った。
このとき、この人は信じていいなって確信した。
この日のことは一生忘れないと思う
ダンまちの知らんゲームしてた。
そしてなんとか迎えた当日、一緒に頑張ってきた弔が輝いている姿をみて、嬉しくなった。
バックヤードで足を大の字に広げてとり五目おにぎりを貪りながら「あーしもー無理ぃー」って言ってたの忘れてないよ。
秋だったのではづたんとオーナーとほぼ登山の紅葉を見に行きました。
夜景がめっちゃ綺麗でたのしかった!
段々弔以外のキャストとも距離が縮まってきて、毎日の出勤が楽しみになった。
私のどうでもいい愚痴を優しく聞いてくれて、大人の対応のやり方を教えてくれて、えらいよって褒めてくれて、なんかまだ年下でいいんだって思えた。
今までピンピンに張ってた緊張の糸が緩んだ。
そこから多分また揉め事もあったんだろうけど、みんながいる安心感で今までより気楽に平凡などうでもいい日々を過ごせたと思う。
なんやかんやで年末を迎えて、世間は大晦日ムード。こういうイベントごとが大好きな私は浮かれて調子に乗って年越し営業で酔い潰れましたね!
そして年が明けてもまだ浮かれた日々を送ってた。
珍しく弔が酔い潰れた日は普段はお世話されてる立場から逆転したので、してやったり顔で介抱をした^^
そんな中でぽつぽつと嫌なことやトラブルが重なり、過去一の限界を迎えていて勝手に涙が流れてきたり眠れなくなったりしていた。
それは弔も一緒で、もう共倒れ寸前だった。
ツーオペの時はお客さんに泣きついて、退勤後は居酒屋に行って語って、毎日毎秒お互いの仕事中も連絡を取り合ってなんとか毎日を乗り越えてた。
「ほんまにうちら病院行ったほうがいいかもしれん」
こんな言葉が出るくらい限界だった。
弔の家に泊まりに行ったとき、ご飯を食べてお風呂入って電気を消して、横になって天井見ながらお話しした。ぽろぽろとまだ言えてなかった本音や弱音を吐き出してるうちに私が泣いてしまった。そしたら弔は「なつみ泣かんといて」って横に来てくれて、よしよししてくれた。
よしよしされてもっと泣いた、大泣きした。
久しぶりに人の優しさに触れて、子供になって心まで抱きしめられたような気持ちで本当に嬉しかった。
そして嫌なことやトラブルはみんなが仲裁に入ってくれて、無事に解決してまた楽しい日々がもどってきた。
営業おわりにはみんなでごはんにいって、ゲスト出勤や何かイベントごとがあるときはいつもお寿司を出前したり、ラーメンを出前したり、楽しかったなあ。
23時にお店が終わっても帰りたくないからネイルサロンに茶化しに行ってみんなでいろんなお話した。
そして、閉店の話が上がるようになった。
実は言うとオープンした頃からいつ閉店するかということは話していた。
元々ダラダラとお店を続ける気はなかったのです。
終わりあるほうが美しいし、かっこいいしね。
でも、こんな早いとおもってなかった。
頭が混乱した、閉店?こんなに楽しくて、人間関係も良好なのに、?
意味がわからなかった。
ここで今まで自分になかった感情があることに気がついた。
「みんなと離れたくないから閉店は嫌だ」
オープンしたときのマインドとはかけ離れた感情。正直これに1番混乱した。
時間をかけて、自分じゃなくてみんなが1番大切になった。
幾度となく話し合って、これから自分がどうするかも考えなくちゃいけなくなった。
1人じゃどうしようもない私はみんなに相談しまくった。みんな丁寧に話を聞いてくれて限界の私に優しい言葉をかけてくれた。
ネイルサロン組の子達は、心配して毎日のように連絡くれた。嬉しかった。
閉店したくないがあまりに、営業中オーナーと大喧嘩もした。突然泣き喚いて大声出してヒステリック起こしてみんな驚いたと思う笑
その時来てくれてたひとに、「ごめんね嫌いにならないで」って言ったら「そんなんならんわ!!!」って良い意味で一蹴してくれて安心した。
あのときは人生で一番の空気の凍り付きを感じた。
ごめんネ
最終決定の話し合いをするとき、会社に行った。
オフィスビルの開放スペースみたいなところでオーナーと社長と話し合って、嫌だ嫌だって大泣きした。
でもこれから事業を拡大してみんなで色んなことをするためには必要な決断だと思った。
夜に話し合いが終わって、帰り道、もうずっと泣いてて、オーナーが「どうにかしたるからあんま泣かんとき」って言ってくれた。
頑張ろうって超思えた。でもアネモネが無くなることを余計に実感して電車でまた泣いた。家帰ってピラフ食べて泣いて気絶した。
そして閉店が決まった旨をみんなに伝えて、最後の1ヶ月半が始まった。
よく来てくれる人には先に伝えてもいいよってなってたから、言おうと思った。
でも、毎日のように会いに来てくれてる人を目の前にしたら言い出せなかった。
けど言わないのはまた違うと思ったから勇気を出して言ったら「寂しいけど仕方ない、頑張ってね」って言ってくれた。ホッとしたけどごめんねって気持ちになって胸がギュッと苦しくなった。
最初は閉店したらどこかに転生してコンカフェを続けようと思ってた。
でもよく考えて、もうコンカフェに身を投じて4年。やらないといけないことを全て放り出してきた。本来自分は服が好きで、良い服を着たり何かを作る趣味にお金が要ったから高時給のコンカフェに手を出したのだ。
もう十分コンカフェは満喫したし、今後何かをしていくためには寂しいけどコンカフェは諦めないといけないなと思って完全引退を決めました。
閉店が決定してもなかなか実感は湧かなくて、わざと時間を浪費した。
ひとつひとつの当たり前が当たり前じゃなくなっていくのを感じた。
ついにラスト1ヶ月、みんな続々と駆けつけてくれて最後のお別れをしていく人もいた。
でも、特に何も考えず楽しむことだけに全振りして過ごした。
半分逃避していたと思う。
最後の1ヶ月マジでありえんぐらい店に居たと思う
一瞬たりとも楽しい時間を流して損するのがいやだった。
スケジュールアプリの中身を見るのも嫌だった。
逃げ続けても当たり前に終わりの日は来る訳で、3月31日がやってきてしまった。
実感は相変わらずなくって、悠々と美容室に行って普通に店にいった
知らんタワーがあった
嬉しすぎてダックスに「なにこれー⁉️」って言った。「知らないです〜」っていわれた。
当たり前だ。
これはオーナーが弔とあたしに特別に準備してくれたものだった。
3人のタワーが並んでるのを見て、この上ない満足感を感じた。この3人だから良かったっておもった。
営業10分前、
泣いても笑っても集客なくても泥酔してももう最後、もう好き放題やってやろ♪っておもった
続々と19時から来店してくれて、罪村ができて嬉しかった。
いつも思ってたけどこの村の村民みんな個性派すぎてすぐわたしのオタクって分かるよね
なんかそれが凄く凄く好きだった
私がずっと目指してきたものだから。
みんなは凄い博識でお話上手でファッションや美容にも精通していて、みんなあたしと同じぐらい性格悪くていつも楽しませてもらってたよ。
コンカフェをやっていて自分と似た感性の人と出会って仲良くなれると思ってなかったから本当に本当に嬉しかった。
ほぼ全員シャンパン開けてくれて、全員でお話して大大大大大満足だった!
通し営業大嫌いでいつも帰りたがってねむがってたけどこの日だけは全くそうならんかった
夜ご飯にはいつものお約束の出前したね。
全員放置してお寿司こそこそ食べました。美味しかったです。
自分のオタクもそうだけど、他の子のオタクでもめちゃくちゃ仲良い人いっぱいいるからその人達に会えなくなるのも本当に寂しかった。
その人達こそ接点が無くなっていくだろうしね。
みんなほんとうに優しく分け隔てなく接してくれて飲ませてくれて嬉しかったです。
自分のオタクに泣き言をいうのは小っ恥ずかしくて、いつも他のこのオタクに相談してた気がする。本当にありがとね。
猫夢がオタクに絡むギャルすぎておもしろかったです。
忙しすぎてあっという間に朝になった。
タワーをみんなで流して、みんなの前で最後の挨拶をした。
なんか恥ずかしくて、「くぅ〜w疲れましたw」って感じの態度をとってしまった記憶がある。
アネモネらしくふわ〜っと最後を終えた。
みんなで最後までいたお客さんを外に送り出して上からばいばい〜!ってした。
店に戻っていつも通りソファにねっころがって、たばこすった。ほんとにほんとにおわりなの?って考えながら起き上がって伝票計算して売上に度肝抜いた。ありがとう!
みんなで本当に楽しかったねお疲れ様って言い合った。
でもこれが終わりじゃなくて二日間退去作業をしないといけなかったから早めに解散した。
さっきまで余裕だったのに帰り道のタクシーありえないほど泣いた。もう大号泣だよ。本当に終わっちゃったんだってこのとき思った。
それからずっとふとした瞬間に泣くようになった。もう寂しくて寂しくて仕方なかった。
弔とLINEしても泣くし、寝る前も涙が止まんなかった。
起きてからぴーぴーとぐずりながら退去作業に行く準備した。
当初2日間作業の予定だったんだけどあまりにも人数が少ないのと、めみと「、、明日行きたくなくね?寝たくね?」ってなったから予定変更で一晩で終わらせることにした。
ありえない量の備品をネイルサロンと事務所に手動で運んだ……
弔は次の日パチンコ屋さんだったから帰って、
めみと2人、チャリにキャリーケースを載せて事務所まで5、6往復し、鶏笑門さんが不要なお酒と備品を引き取ってくださったのでそれも往復してマジで死ぬかと思ったけど、もう2人でこれやってるというヒーロー感と深夜テンションでめちゃくちゃハイになったw
真っさらなアネモネです…
これ以降店には入れないし、日々の殆どを過ごしたこの場所とお別れです。
最後シャッターをおろしたときは流石に泣きそうになった。
私たちを守ってくれてありがとうね。
約12時間の作業を終えて、死ぬほど寝た。
これでアネモネでの約2年間の振り返りはおしまいです。
はじめたての頃を知らない人はおもしろかったかな?
前店のことも書きたかったけどあまりに長くなって5月になってしまいそうだからまた今度ブログにしようと思います。
コンカフェ始めて4年、色んなことがあって泣いたり笑ったりボコボコに詰められたりガイジムーブして、時には乱闘騒ぎまで起こした。間違いなく罪ちゃんずが1番パンクだ。
アネモネ入って仕事に対する姿勢や人間関係を大事にする心を知れました。
みんなのおかげで今、私はみんなに好いてもらえるようになれました。
ただのイキったガキ、少しは大人になれたかな?
この4年間で出会えた先輩、上司の方々本当に感謝しています。
甘やかさずに手厳しく育ててくれてありがとうございました。
店長や幹部、内勤と様々な役職をつけて頂いて、上に立つという事や店舗管理のいろはを教えて頂き本当にありがとうございました。
今まで店舗関係無く私についてきてくれた女の子達、最後までお調子者でネガティブでよく分からない私についてきてくれてありがとう。
何かを頑張る原動力は全て貴女達でした。
お客様に対して、ただのお客様だと私は思っていません。私の人生を形成する大事な大事な人たちです。
みんなが沢山の愛をくれたおかげで自分を愛せるようになりました。
みんなに出会えてなかったらものすごく卑屈な人間になっていたと思います。
ありがとう。
寂しいけれど、アネモネ解散ということはキャストもお客様もこれからそれぞれの人生を歩むことになります。
これからの人生で躓いたり、辛いことがあったとき、アネモネでの楽しかったことを思い出してくれると嬉しいです。
離れていても絶対に繋がっています。
私は何があっても絶対みんなの味方です。
私も夢だったものづくりを仕事にすることが出来たので頑張ります。
みんなが私を推していたということが恥じないよう、いや、自慢できるような大きな人間になるよう努めます。時々みんなの心の中の再生装置で罪ちゃんずを甦らせてあげてください。
今まで不純喫茶アネモネに関わって頂いた全ての方へ御礼申し上げます。
不純喫茶にてまた会いましょう。
罪ちゃんずより愛を込めて
2024.4.17